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(っ'ヮ'c)ウッヒョオォウワアアァァアァア

わかんないけど思ったことを書きます

にっき

にっき継続して書くのが無理っぽい

良く考えたらむかしから、自分の意志だけで一つのことを継続出来た試しはほとんどない。

受験勉強は何故か出来た。たぶんそれ一つに集中してて、勉強をする場所(塾)があったからだ。

 

つまり、一つのことを毎日持続するには俺の場合、その為の「場所」と「時間」と「目的」か必要なのである。これは非常にコストが高い。

 場所がまずハードルが高い。実家で作業出来ないマンなので実家は使えない。わざわざ図書館とかカフェもめんどい。場所の確保は、実は難しい…

時間と目的はある意味一緒なのかもしれない。目的として大きければ時間を割いても問題ないが、目的が定まってないと時間を割く気にもなれない。

なかなか大変である。

 

なんか、一つに向かって邁進し続ける生き方は見直した方がいいのかもな…何が大事なのか考えた方がいいのかもしれない

三記目

昨日もちゃんとブログ加工と思ったのに書かないまま寝た…

哀しい…

 

今のところこのブログの閲覧は完全にゼロなので、このブログは存在していないのと等しいことになっている。とてもアツい。

観測している者がいて初めて物事は存在することになる、みたいな発想はあるような一理あるような気がしていて、箱の中のネコもそんなノリを踏襲している気がする。

ということはこのブログは存在していないのだろうか。

でも、書いている僕自身はこのブログを観測している。しかしこのブログを観測している僕を他の誰も観測していない(はず)なので、やはり存在していないのだろうか。

 

僕は哲学は好きだけど、大学とかできっちり専攻した訳ではないので古典的な論には疎い。本もそんなにかっちり読んだことないし(内田樹のレビィナスの本は一回読もうとして積んでいる)、ガチの人に知識で殴られるとすぐ息絶えるレベルである。

でも結構抽象的なことを考えるのは好きだし、色々疑問に思うことはある。

哲学と僕のより好ましい関わり方は、どの方向にあるんだろうなぁ。

 

日本人が趣味に厳しい説はよく言われている話だと勝手に思っている。例えば野球が趣味ですって言うにはガチで野球経験者じゃなきゃいけない、みたいな。趣味って言えるレベルになるまでのハードル高くない?みたいな。

同様のことで、僕も哲学は趣味でありたいと思っているのだがどうすれば哲学が趣味であることができるのだろうか、というか本質的に哲学とか考えを突き詰めることって趣味でありうるのだろうかw

 

ちなみに好きなもの、っていうカテゴリで言うと詭弁とかが好きです。どこで話をすり替えるかとか、生じさせた矛盾をいかに近似出来るものとして隠蔽するかとかが好き。

嫌いなのは印刷と暇と沈黙です…

トネガワを買って読んだ

中間管理職トネガワの4巻を買って読みました、すごい面白かった。

でも今すごいねじの人々の話がしたい。

 

ねじの人々は若木民喜が書いてて、とっても面白いなーと思いながら毎回マンガワンで読んでたんだけど、連載が終わってしまった。

数少ない毎回よんでいた漫画なので終わってしまって寂しい…

なんか好きなマンガはドンドン終わっていってしまうような気がするけど、気のせいなのだろうか。阿部共実も最近何も書いてないし…

よく考えたらなんとなく不安定っぽい、作者もネタがなくなりやすそうな漫画が好きだから好きな漫画はすぐ終わるって思うのだろうかと今思った。

 

そういえば「この漫画がすごい!」の最新ランキングが発表されてて、トネガワが一位だったらしい。

そう考えると「好きだったけどすぐ終わっちゃった漫画」だけが記憶に残ってて長く連載してる漫画は記憶に登らないだけなのかなぁー

 

 

 

書いてみる

こんにちは。

ブログを書いてみます。

 

なんでブログを新しく書こうかと思ったかというと、ついったとかがなんか縛りが増えてきたりして自由に書きたくなったことが強い理由です。

 

文を書くのって誰にでもできそうだけど、実は難しいような気がしています。

なのである種文章を書く練習にもなるといいな。

 

今日面白かったのは、ヒカキンの投稿してた動画のサムネが完全にシンメトリーになってたことです。

youtu.be

 

Twitterにヒカキンシンメトリーbotってのがあって、

twitter.com

これヒカキン本人絶対意識してるやろwみたいな感がジワジワきます。

はじめしゃちょーとかもTwitterで偽物によくDM送ってるし、やっぱそういうとこ意外としっかり見てるのかなー

 

明日は中間管理職トネガワの4巻を買う予定です!楽しみだ