三記目
昨日もちゃんとブログ加工と思ったのに書かないまま寝た…
哀しい…
今のところこのブログの閲覧は完全にゼロなので、このブログは存在していないのと等しいことになっている。とてもアツい。
観測している者がいて初めて物事は存在することになる、みたいな発想はあるような一理あるような気がしていて、箱の中のネコもそんなノリを踏襲している気がする。
ということはこのブログは存在していないのだろうか。
でも、書いている僕自身はこのブログを観測している。しかしこのブログを観測している僕を他の誰も観測していない(はず)なので、やはり存在していないのだろうか。
僕は哲学は好きだけど、大学とかできっちり専攻した訳ではないので古典的な論には疎い。本もそんなにかっちり読んだことないし(内田樹のレビィナスの本は一回読もうとして積んでいる)、ガチの人に知識で殴られるとすぐ息絶えるレベルである。
でも結構抽象的なことを考えるのは好きだし、色々疑問に思うことはある。
哲学と僕のより好ましい関わり方は、どの方向にあるんだろうなぁ。
日本人が趣味に厳しい説はよく言われている話だと勝手に思っている。例えば野球が趣味ですって言うにはガチで野球経験者じゃなきゃいけない、みたいな。趣味って言えるレベルになるまでのハードル高くない?みたいな。
同様のことで、僕も哲学は趣味でありたいと思っているのだがどうすれば哲学が趣味であることができるのだろうか、というか本質的に哲学とか考えを突き詰めることって趣味でありうるのだろうかw
ちなみに好きなもの、っていうカテゴリで言うと詭弁とかが好きです。どこで話をすり替えるかとか、生じさせた矛盾をいかに近似出来るものとして隠蔽するかとかが好き。
嫌いなのは印刷と暇と沈黙です…